手織緞通 | 丹後緞通 | 緞通の歴史 | ||
手織緞通は、歴史が最も古い敷物で、前後2本の経糸(たていと)にパイル糸を8の字に絡ませ、1本1本切りながら織っていくものです。量産ができないため高価で、美術工芸品としての意味合いが強い織物です。現在では職人の数も減り、当社に15名、東北地方に数名いるだけです。
フックド・ラグ製法の緞通で、当社では「丹後緞通」と呼びます。
手織緞通と同等の風合いを持ち、豪華さ、重厚感がありますが、手織緞通に比べ、短納期、かつローコストでご提供できます。
宮内庁、国会議事堂等の公共建築物、著名ホテルに多数の納入実績があります。
緞通の歴史
緞通の由来は、中国の毯子(タンツ)から緞通(だんつう)、地毯(チタン)から絨毯(じゅうたん)と和名されたと言い伝えられています。古くは邪馬台国の時代に中国(魏)から贈呈されたと日本最初の記録があり、正倉院には中国から渡来した「花氈(かせん)」といわれるフェルト製のカーペットが現在も保存されています。大阪における敷物生産の起源は堺、住吉地方に始まり、この地方は、足利時代より日明貿易の拠点であり、支那の織布技術はまず堺に伝来し、ついで西陣へと伝わりました。応仁の乱の大火により京洛の西陣織物が壊滅的な打撃を受けた時、染工、職工が堺に難を逃れ、この時より織物工業が盛んになりました。